あなたはコンプレックスに悩んだ経験はありませんか?
コンプレックスは、他の人と比べ自分が劣っていると感じる部分についての悩みや不安感を指します。
それぞれの人が持つコンプレックスには種類があり、外見、性格、能力、経済状況、家族や人間関係など、なぜ自分は他の人と同じようにできないかと悩み、不安を抱えることです。
この記事を読めば、わたしと同じコンプレックスを持っている方の一助となります。
最後まで読んで頂ければ嬉しいです。
こんにちは、シモンです。
今回はわたし自身がコンプレックスの原因を考え解決した経験を書いていきます。今考えれば【そんなことで悩んでいたんだ】と思いますが、現在は心が自由になり精神的に楽になりました。
それでは、コンプレックスを強みに変えた経験を書いていきます。
【勉強ダメ・運動音痴・人前で話すのが苦手】のコンプレックス~学生時代編~
【勉強ダメ】コンプレックス
中学で【勉強ダメ】を克服します。
わたしの中学時代は割と友達に恵まれていましたね。
この時期のわたしは、【運動音痴・人前で話すのが苦手・勉強ダメ】のコンプレックスを持っていました。この中で【勉強ダメ】を克服しようと親に学習塾に通わせてもらい苦手教科を得意教科に変えました。
勉強を選んだのは中学の教科書を見て、自分の頭では理解できないと判断したからです。中学生のわたしです、単純な考えだったかもしれません。
【運動音痴・人前で話すのが苦手・勉強ダメ】のわたしです。中学で勉強がダメなら高校でのダメだろうという焦りから勉強ぐらいはついていけるようにと思ったからです。
学習塾に通っていたこともあり学校の成績はぐんぐん上がり、
高校もまともな高校へ進学できました。高校でも勉強は上位にいました。
【運動音痴】コンプレックス
高校で【運動音痴・人前で話すのが苦手】を克服します。
キッカケは、球技大会と生徒会です。
球技大会ではバレー・バスケ・サッカーのどれかに参加する謎のルールがあり、面倒くさい学校の規則に従う羽目になります。この経験が後で【運動音痴】を克服し周りの生徒に感動を呼び起こします!
わたしはバレーを選択しました。【運動音痴】のわたしです、レシーブ・トスもままならず、バレーのルールでさえ良くわかっていません。どうしたものか悩んでいると、得意な生徒が何人も来て、体全体を使ってボールを腕または手に当てるイメージでやるんだと教えてもらいました。
球技大会なので予選・決勝まであります。そのためには一戦一戦勝ち抜かないといけません。バレーメンバーは運動が苦手な生徒が多かったので一回戦敗退と思っていました。(結果準決勝まで行きました)
【運動音痴】のわたしにわかりやすく教えてくれたこともあり、レシーブやトスで白いボールが綺麗に空に上がるたびに、応援に来てくれた生徒から歓声が沸きます。
マジか!まだ点数も入っていない状態で!
一戦一戦勝つことでだんだんレシーブ・トスができるようになっていきます。学生時代は初めての経験が多いから、上手くいったとき心が揺り動かされるんですね。
【運動音痴】のわたしでもみんなの役に立てた瞬間であり克服した時期でもあります。
【人前で話すのが苦手】コンプレックス
【人前で話すのが苦手】を克服したのは、高校時代、生徒会へ推薦されたことです。
基本、面倒くさがりなわたし。生徒会の仕事嫌だなと思ってました。体育祭・文化祭などがあれば準備に追われ、資料作りや全体総会など多岐にわたります。
中でも生徒総会があり生徒全員で学校生活をより良いものとするために議論するイベントがあります。生徒会役員がステージに立ち、全校生徒の前で議論するわたしには、あまりにもレベルが高すぎる試練でした。
声は震え頭は真っ白になりましたが、途中から平常心になる不思議な感覚を覚えます。
生徒会に入って全校生徒に放送する業務もあり、かなり緊張します。話している途中にかんだり言葉を忘れたり、でもスラスラ話し切った時は嬉しいものでした。
生徒総会は年に一回で、それまでに放送で話せる自信があったから平常心になる不思議な感覚になれたかもしれません。
【運動音痴・人前で話すのが苦手・勉強ダメ】コンプレックスのわたしですが、
冴えない内勤職時代~社会人編1~
自分のコンプレックス(能力がない・周りの目が気になる・神経質)
就職氷河期時代で大学を出ても自分が希望する仕事が見つからず、就職浪人が出る時代でした。わたしは【卒業できても仕事が見つからなかったらどうしよう】的な焦りから、自分が【本当にやりたいことは何か】もよく考えずに仕事を決めた感がありました。
- 一つの会社で長く働くが当たり前の時代でした。
- 資格や知識は勉強すればある程度は習得できます。
- 仕事は会社の人と協力して取り組まなければならない。
今考えると学生時代または若い世代にいい意味で遊んでおけばよかったと思います。
言ってしまえば、
内勤(事務・経理・総務・人事など)の仕事はチームワークとコミュニケーションが重要です。伝える力・受け取る理解力・考え発信する能力など相手に合わせて対応しなければいけません。
頭でっかちな一方通行の思考人間だったので、
- 柔軟な人間関係を築くのが下手
- 融通が利かないので能力がないと思われる
- 人と比べるから周りの目が気になる
- 些細なミスも落ち込む神経質
挙げればきりがない、実に面倒くさい性格でした。
問題が起こるたび対応に四苦八苦していましたので
そのうち、わたしは
- 才能がないかも
- 何をやってもダメな人間
- 頑固で神経質なので柔軟な発想ができない
と考えるようになります。
しかし、内省を繰り返しているうちに
内勤から外勤へ環境を変えると、自分のコンプレックス(能力がない・周りの目が気になる・神経質など)が気にならなくなったと同時に本来の自分の良い点が際立ってきたのです。
環境を変えた(内勤から外勤へ)~社会人編2~
自分のコンプレックスが気にならなくなった
約10年内勤で自分のコンプレックスに悩み出口の見えないトンネルを右往左往していました。これでは身体も心も壊れてしまうと思い至りトラックドライバーをすることにします。
トラックに乗ること自体初めてでしたが、当時ヤンチャな人が多く、しかし人は外見で判断できず、とても親身に文句も言わず運転指導・同乗指導してくれました。
まるで違う業種に環境を変え、勇気もいりましたが、学生時代の土壇場の度胸と真面目さの強みが自分の身を助けたと思います。
トラックドライバーの多くは、人に干渉されず自分のペースで仕事ができるので、一人で淡々と業務を進めるのが好きな人には適性があります。
わたしは
- 言われたことは真面目にこなす
- 毎日同じメンバーと長時間顔を合わさなくてよい
- 自分のペースで仕事を進められる
- お客様とは適度な距離感で対応できる
ことが自分の心を開放してくれました。
遅刻・早退・クレーム・事故など皆無に等しく、文句も言わず継続しているのを見て、周りの社員が【よく頑張っているな】とか【事故もなく偉いな】などと言われるようになります。
【真面目にコツコツ型の性格】しか取り柄がないわたしが、周りの人から信頼されることで自分のコンプレックス(能力がない・周りの目が気になる・神経質など)があまり気にならなくなった瞬間でした。
わたしの味方になってくれる人を増やす
学生時代から社会人(内勤時代→外勤時代)、現在に至るまで、その時代により抱えるコンプレックス(不安や悩み)の種類が変わります。
わたしの体験からその時々で抱えるコンプレックスは、個人の努力・行動・考え方や環境・自分の周りにいる人たちに多いに影響を受け、悩み、解決していくものです。
個人の努力は大切ですが、今あなたの周りにいる自分の味方になってくれる人を大事にし、後に多大な影響を与える力となります。
現在働き方も多様化していますが、どんな働き方・生き方を選択しても、いつもあなたの味方でいてくれる人たちに感謝し、人生をより豊かにしてくれる存在を忘れてはいけない。